リーバイス社の「Denison」(デニソン)工場(17→D→7→?)についての蘊蓄アレコレ
米国テキサス州のDenison(デニソン)にあったリーバイスの工場は、1949年操業の歴史ある工場でした。(1984年閉鎖)
ボタン裏に刻印される記号は、「17」→「D」→「7」→「?」と変遷。
80年代の3桁番号が未だに不明ですが、80年代のリストの羅列から推測するなら、「518」か「519」あたりでしょうか。
参照1:リーバイス社の工場番号&所在地一覧(ボタン裏刻印一覧)
参照2:1950年代~1970年代のリーバイス社の工場番号(ボタン裏刻印)&所在地(妄想感強め)
「17」「D」と聞くと、ピンとくる人もいるのでは。
そう、Dodgersの17番大谷翔平。
50~60年代のリーバイスジャケット(Gジャン)506XX、507XX、557を作っていた工場ですね。
ジャケットの種類、年代については、ワタクシ全く詳しくないので、各自で自習しておいてください。
それらのジャケットのボタン裏に燦然と輝いていたのが、「17」であり、「D」。
(「O」については、下記に記述します。「A」については、次の機会に…)
上に載せたボタン裏の写真は、同一のピケジャケットのものですが、胸ポケットのボタン2つが「17」、他はすべて「D」でした。
このピケジャケット(851B訂正951B)の詳細は、いずれ紹介するつもりです。
いわゆる「Type3」(3rd)と言われる「557」の時代のジャケットの個体は、胸ボタン「17」+他「D」が多いようです。
その理由は、「ちゃんねるツルット」さんのYouTube動画”まだ狙えるヴィンテージ「リーバイス3rd=557XX」徹底解説【ヴィンテージリーバイスワールドhands-on】”での山口氏の考察でお勉強してみてください。
ところで、「D」ディーと「O」オーの刻印の判別を誤っている方が多いようなので、気を付けましょう。
下記の写真のように並べてみると、その違いは一目瞭然です。
メルカ〇リなんて見てますと、3分の1位の確率で間違って記述しています。
「D」刻印の方が「O」刻印よりも古い個体が多いはずなので、わざと「D」にしているとしか思えないほどです。
「O」刻印とは、「O」→「52」→「527」と変遷する Fayetteville(フェイエットビル)工場(1966-1998)。
1914年創業の「Oberman Manufacturing Co.」をリーバイス社が1966年に買収しました。
その後、90年代に至るまでリーバイスジャケットを生産した工場として有名です。
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「Denison」(デニソン)工場は、1949年に60人の従業員で、ヒューストン通りの古い建物にて操業を開始。
Denison Press(March 11, 1949)によると、当初この工場で「501」も生産していたことがわかります。
1966年3月15日には、市の北西にあるデニソン工業団地に巨大な新工場を建設して、移転しました。
移転後、「Denison」(デニソン)工場で、リーバイスジャケットが生産されることはありませんでした。
「Oberman Manufacturing Co.」を買収したのは、1966年。(買収前の1、2年間は、委託生産していたのではないかと思われます。)
同社は、1914年操業の軍用品も納めていたほどの高い技術力を持った会社でした。
リーバイスジャケットの生産の引継ぎは、きっちり計画、計算されていたシナリオだったのでしょう。
「Denison」の新工場では、リーバイスジャケットの生産から、スタプレスト(スタプレ)などのスポーツウェア部門のパンツの生産へと移行しました。
スタプレ等のスポーツウェアの類には、工場番号を刻印するボタンが無かったのでしょうか。
求む!「7」刻印を持つパンツ。