60年代のリーバイス557の「A」刻印の工場はどこなのか?

2025-03-23

リーバイスジャケット「557」のボタン裏に刻印された「A」とはどこの工場なのか。

「A」刻印のボタンを持つリーバイスジャケット「557」を見たことがありますか。

(参考 「hands-on」さんの裏ブログ リーバイス 557(3rdモデル)Gジャン ボタン裏A

「557XX」と紙パッチに表記されている個体からは「A」刻印は確認されていません。

「557XX」から”XX”表記が消えて、「557」となったのは1963年頃と言われています。

「557」ジャケットは、1966年12月に「70505」とそのLOT番号を変更しました。

(*1967年の新コンピュータシステム導入のためです。☞ 参考 )

「70505」と紙パッチに表記されているジャケットからは「A」刻印は確認されていません。

以上の事実から、「A」刻印を持つ「557」の製造時期の始期は、早くても1963年頃、その終わりは1966年であると推定されます。

それでは、1966年までに開設されたリーバイス社の工場を確認してみましょう。

1950年代~1970年代のリーバイス社の工場番号(ボタン裏刻印)&所在地(妄想感強め)


アルファベット刻印が判明していない工場の中で「A」の候補にあがるのは、下記の2つの工場であることが分かります。

1.Amarillo(TX)アマリロ(テキサス州)

2.San Angero(TX)サン・アンジェロ(テキサス州)

なお、Albuquerque(NM)アルバカーキ(ニューメキシコ州)は、開設されたのが1967年なので、候補外としました。Arkadelphia(ARK)アルカデルフィアは、後述するOberman Manufacturing社の工場なので、これも除外しました。

…1965 年は、西テキサスにとって産業面で良いニュースで始まった。リーバイ・ストラウス社が、15 番目の国内工場をサン・アンジェロに置くことを発表した。これはテキサス州におけるリーバイスの5番目の工場であり、他にはデニソン、エルパソ、ウィチタフォールズ、アマリロに工場がある。…デニソン工場の主要労働者数名が町に移り、準備を始めた。工場は 1965 年 4 月 14 日に従業員 8 名で正式に業務を開始し、毎日新しい設備が到着した。…5月12日までに従業員は41名となり、リーバイスの「ステイ・プレスト」パンツの最初の一着が生産ラインを流れたが、店頭に並ぶことはなかった。そのパンツには勤務中の全員がサインし、工場内の壁に掛けられた。…

「GoSanAngero」2019.11.6の記事「Levi’s history well-worn in San Angelo」より抜粋して翻訳

この記事を初めて目にしたとき、「デニソン工場の主要労働者数名が町に移り」の部分で、ワタクシは少し興奮しました。デニソンのジャケット製造業務は、サン・アンジェロに引き継がれたのではないかと思ったからです。1960年代以前のリーバイスジャケット「506」「507」「557」を製造していたのは、刻印「17」→「D」の Denison(TX)デニソン工場です。デニソン工場は、1967年に新工場を建設し移転しましたが、その前後でジャケット製造を止めたとみられています。☞リーバイス社の「Denison」(デニソン)工場(17→D→7→?)についての蘊蓄アレコレ

 

「hands-on」さんの裏ブログの「ボタン裏Aの557」の記事では、ポケットのボタン裏の刻印が「17」であると紹介されています。冒頭の写真の刻印「A」のボタン裏を持つ「557」も全く同じで、ポケットのボタン裏刻印は「17」です。

デニソン工場の歴史を見る限り、”「A」工場は「D」工場と同じ”なのではなく、”「A」工場は「D」工場のジャケット製造業務を引き継いだ”とみる方が自然です。「D」工場で作り置いていたポケットの在庫も「A」工場が承継して使用したとワタクシは推測しています。

先ほどの「GoSanAngero」の引用記事に話を戻しましょう。

ワタクシが作った上の工場一覧表では、アマリロの工場開設は1965年としか記載していませんが、引用記事によると、サン・アンジェロよりもアマリロの方が工場開設の時期が早いことがわかります。会社として「A」刻印を与えるなら、開設が早いアマリロ工場の方が順当と思われます。

引用記事内では、サン・アンジェロ工場で最初に製造したのは、「STA-PREST」(ステイ・プレスト)パンツだと明言しています。ジャケットについての記述は、全く見当たりません。

以上のことから(消去法的に)、「A」刻印を与えられた工場は、Amarillo(TX)アマリロ(テキサス州)とワタクシは推測します。

残念ながら、今のところアマリロが「A」刻印だという明確な証拠は見つかっていません。

さて、「D」Denisonデニソン工場、「A」Amarilloアマリロ工場でのジャケット製造は、1966年頃までに全て終了します。

1960年代中頃からの「557」のボタン裏「O」の工場は、Oberman Manufacturingであることは、以前にも書きました。リーバイス社は、1966年に同社を買収しますが、その前から委託製造をしていたとみられます

1967年以降の「70505」の工場については、こちらをお読みください。

「70505」リーバイスジャケット(Gジャン)のボタン裏刻印について(1/2)

さて、相変わらずの妄想もどきの記事ですが、アナタはどのように思いますか?

また、他に情報等がある方は是非教えてください。

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Posted by shiba-ken