写真でみるリーバイス501レギュラー(42)-501はMADE IN USA-2002年製最後の米国最終「501」

2024-12-01

ワタクシがこよなく愛し、日常をともにする「501」は、「93米国最終モデル」と呼ばれる最後の米国自社工場製の「501」です。

リーバイス社は、2001年に「501」の米国内の製造拠点を、”ほぼ”、米国外に移しました。

2002年に511エルパソ、553サンベニート、512ブラウンズビル、513ブルーリッジ、548パウエル、555サンフランシスコ(バレンシアst)の6つの工場を相次いで閉鎖、2003年に554・614サンアントニオの最後の2工場を閉鎖してリーバイス社は米国内の自社工場の歴史に幕を下ろしました。

2002年以降、米国企画の「501」はメキシコ製に、日本企画の「501」はフィリピン製へと代わることになります。

本日は、最後の米国自社工場製「501」の中でも最末期にあたる、2002年5月に製造された93米国最終の最終「501」のご紹介です。


ワタクシは多くの「93米国最終501」を所有していますが、今回の「501」は、自分で穿いていない数少ない「501」の内の1本です。

もちろん、誰が穿いてもいつもと同じ「93米国最終501」。

何も変わったところは、ありゃしません。

※以下3行「奥様は魔女」のオープニング風に。

いつもと同じ米国最終タグかと思いきや、表面の「MADE IN USA」表記がありません。

この時期の米国企画の「501」は既に製造拠点を海外に移していたので、内タグ表面には「MADE IN USA」表記が無いものが使用されていました。

何らかの理由で米国内自社工場で製造したときは、裏面に誇り高き「MADE IN USA」を印字したのでしょう。


「93米国最終501」には、常に切なさというか哀愁が漂っている気がしてなりません。

米国自社工場の最後を看取った「501」というだけでは説明のできない哀愁が。

「501」にとっての80年代から90年代は、品質と合理化との葛藤の歴史ともいえましょう。

2024年、リーバイス社は自社ブランドとしての「リーバイス501」を保持し続け、販売し続けています。

当時、メキシコの労働対価の9倍近い米国内での「501」の製造を中止するとの経営判断は、今では正しかったと言えるのでしょう。

時代は常に流れ、民衆の趣向も価値観も変わり続けます。

それでも、当時米国自社工場でつくられた「501」が、こうしてまだここにあります。

リーバイス社が米国内で最後の最後まで葛藤し続けた品質と合理化との折り合いの最高到達点こそが「93米国最終501」です。

更なる合理化のために捨てることになった「MADE IN USA」の誇らしい文字にこそ最大の悲しみを感じるのは何とも皮肉なことですが。


※このサイトでは、1980年頃から2003年米国自社工場閉鎖までの米国製Levi’s501を、下記の3つのモデルに大きく分類しています。
「80」(ハチマル)80年頃~87年頃 紙パッチのCare~文字が黒スタンプ(このサイトでは「赤耳」もこの区分です。)
「87」(ハチナナ)88年頃~93年頃 紙パッチの501の文字が赤字且つロゴタグ(87赤文字と記述することが多い。)
「93」(キューサン)94年頃~03年 紙パッチの501の文字が黒太字且つ刺繍タグ(93米国最終と記述することが多い。)

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Posted by shiba-ken